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旅行記

4月30日 〜久留里線、銚子電鉄方面〜

まえがき

新入生の入学からわずか3週間という、昨年度(5月22日)と比較すれば「異例」のタイミングで今回の新歓は行われました。今年度の新入部員は2人。ですが、そのうちの1人は3年生からの途中加入ということで、純粋な「新入生」は1人のみとなりました。でも、頼もしい部員なので私としても非常にうれしいところです!
新入生の希望により、選ばれた行先は久留里線と銚子電鉄。大井川鐵道という案も出されましたが、費用や時間を考慮した結果、現役部員の助言もあってこの行先に落ち着いたのです。久留里線も銚子電鉄も全くの未乗であった私にとっては、乗りつぶしができたので非常に楽しい旅でしたwタブレットこそ廃止になってしまったものの、久留里線の車両は引退予定なので、車両の記憶と言う面でも非常に有意義な旅でした。それではブルアロ旅行記をお楽しみください!

さーて、いよいよ始まりました鉄研新歓!今回の集合は、総武線快速の東京駅が地下深くにあることや、千葉県民の部員がいることを考慮した結果、東京駅7時24分発の総武線快速千葉行き685Fの9号車にて車内合流という形になりました。埼玉県民の私は、素直に錦糸町合流を選択しました。写真はE217系。
車体のところどころに残る更新前の古き良き姿(*´∀`)E217系はやはり未更新の方が好きです。
ボックスシートで楽しく部員と話しているうちに、千葉に到着!千葉と言えば113系が山ほどいるイメージしかないのですが、すでにステンレス王国と化していました.....。1年前であればまだまだ現役だったんですがねぇ。209系に乗車。部で209系の側面幕を1つ保有しているのですが、その幕がこの編成の京浜東北線時代の幕だと知って大変驚きましたwww
木更津からは久留里線!やってきたのは.......
キハ30国鉄色キタ━(゚∀゚)━!
キハ30は、高度成長期の1961年〜1966年にかけて、大都市圏近郊の輸送改善のために導入された車両です。現存するのは久留里線を走る3両だけとあって、希少価値は絶大です!ちなみに、乗車したこのキハ30 100は、なんと昭和41年(1966年)製でした( ゚Д゚)
キハ30の最大の特徴と言えば、今ではすっかり珍しくなったこの外吊り式扉です。2扉なら大丈夫なのですが、3扉となると車体の強度が不足するのでこのような形式を採用したとのこと。しかし、冬場となると冷気が吹き込むなど、いろいろ欠点があるようで...。
キハ30の車内です。車内はやはり同年代の101系に通ずるものを感じます。シートの座り心地とか101系そのまんまでしたからねw
車両の解説はほどほどにして...。久留里線の車窓です。横田を過ぎてくると、田園風景が目立ち始めます。田植えの真っ最中で、農作業をしている農家の方たちがたくさんいました。房総の春の風物詩といったところでしょうか。
終点の上総亀山駅の駅舎です。残念ながら、タブレット閉塞の廃止により、2012年3月のダイヤ改正をもって無人駅となってしまいました......。
久留里線は、希少価値のある気動車の集まりとも言えます。左からキハ38、キハ37です。試験的な意味合いの強いこの車両がここまで生き残ったのは奇跡に近いでしょう(゚∀゚)新型導入の前に、是非一度久留里線の旅を楽しんでみてはいかがでしょうか?
その後、木更津から蘇我まで移動。車内では、木更津名物の「漁り弁当」(1000円)をいただきました。あさり好きの私にとってはたまらない駅弁でしたwでも、味噌汁のあさりとは違って独特な食べごたえがありました。
蘇我からは、外房線を走る上総一ノ宮行きのケヨE233系に乗りたくない?ということで予定をちょっと変更したのですが......
やってきたのは209系ケヨ34編成www
京葉線列車のほぼすべてがE233系で運転されている中で、唯一1本だけ生き残っている209系なのです(・∀・*)まぁ、そう考えれば非常にレアなのですがね。土気まで乗車。土気から東金線209系、総武本線211系と乗り継いで銚子着!
さて、いよいよ銚子電鉄乗車!やってきたのは2000系2001編成。2000系は元京王2010系であり、譲渡先の伊予鉄道にて800系となり、それがさらに銚子電鉄に譲渡され、2010年7月から営業運転を開始したものです。経歴がすごい複雑ですねw銚子方先頭車(2001)は京王2010系時代と変わらぬ元来の顔ですが、外川方先頭車(2501)は、伊予鉄道時代にサハ車への京王5000系似の運転台取り付け工事が行われているため、種車の面影は薄れています。個人的には、湘南顔の銚子方先頭車(写真)がすごくかわいいんですが←
銚子電鉄の車窓です。基本的には民家の真横をまるで江ノ電のようにゆっくりと走っていくのですが、随所随所で写真のような和やかな畑の風景が見られます。キャベツが植わっていましたね。たった6.4キロの短い路線ではありますが、車窓風景は非常に変化に富んでいました( ゚∀゚)ただ、窓が汚いので写真が撮りにくいというwww
あっという間に終点の外川に着きました!写真は、2000系の外川方先頭車です。元京王5000系のように見えますが、先ほど説明した通り、これは京王5000系に酷似した改造運転台ですw 決して京王5000系ではありません。
外川駅には、2010年9月23日に営業運転を終えたデハ801がいました。個人的には、銚子電鉄といえばこのカラーなのですがね。ちなみに、1950年の製造だそうです!
そして外川駅駅舎ヾ( ゚∀゚)ノ゙ マンガ「鉄子の旅」において、横見氏や編集長が絶賛していた駅舎です!木造のひなびた感じが、海辺のいい味を出しています。駅舎内には、編集長が手作りした外川駅のジオラマが未だに展示されていました。ただ、個人的には、横の自動販売機が気になるところw
駅舎堪能後、一同は外川から歩いて犬吠埼へ!海岸沿いの遊歩道をしばらく歩き、向かったのは犬吠埼灯台。明治7年からあるという非常に歴史のある灯台です。狭くて急な階段を上っててっぺんへ。
灯台の上からの景色です。雄大な太平洋を一望することができます。海が丸く見えるとか言いますが果たして......
反対側の景色です。灯台の周辺には、お土産屋さんやレストラン、それから水族館などがありました。時間があったらじっくり見て回りたかったのですが(泣)
犬吠埼散策を終え、歩いて犬吠駅へ。犬吠埼から犬吠駅までは徒歩10分です。犬吠埼の最寄りとあって、駅は非常に立派でした!待ち時間は、乗り放題切符特典のぬれせんべいを一枚食べて過ごしました。あまりにもおいしかったので、家族用に一袋購入しちゃいましたwあの醤油がたっぷり染みた香ばしいにおいがたまらないのです(´艸`)それが銚子電鉄の応援にもなるのですから。
犬吠から仲ノ町までは、デハ2002に乗車!先ほどのデハ2001の色違いバージョンです。トコトコと駅に進入してきます。
仲ノ町駅。銚子から一つ目の駅です。大正時代の駅舎が貴重にも現存しています。
手書きの運賃表ですΣ(゚Д゚) どんだけ昔のなんだよwwwとか思いきや、平成9年7月1日改訂なのだとかwww
仲ノ町駅では、入場料150円を払うと隣接する仲ノ町車庫を自由に見学できるのです。昨夏の合宿で訪れた多度津工場のようなものを想像していたのですが、予想に反して小さい車庫でしたwww正直、「え、これだけ?」といった感じです(* ̄ω ̄)
写真は、日本の狭軌サイズ用としては現存最古のデキ3型電気機関車ですヽ(゚∀゚ )ノ 1922年にドイツで製造され、山口の炭坑専用線を経て1941年に銚子電鉄へ。その後は1984年のヤマサ醤油専用線廃線まで、牽引機として活躍したものです。非常に価値の高い機関車なのですが、資金不足により法定検査が行えず、車籍こそあるものの本線走行はできない状態となっています...。でもしっかり保存はされていますよ。
電留線にはデハ1002の姿が。デハ1001/1002は元営団2000形、つまりは昔の丸ノ内線なのです!1001は桃太郎ラッピングで有名ですが、1002は丸ノ内線時代の塗装に復元されています。まぁこの車両、元は菊池直恵氏デザインの「鉄子の旅」ラッピングだったんですがねw 私としては、デハ2000系列よりもこのデハ1000系列に乗りたかったです。こっちの方がより銚子電鉄らしいというか...。両方とも動いてなくて残念でした...><
そしてこちらは「桃太郎号」ことデハ1001。いつかはこの系列にも乗ってみたいですよね!
この後銚子駅へ。銚子電鉄は、短いながらも魅力が凝縮されたいい路線だと思います。東京からも近いので気軽に訪問できますから、また行ってみたいです!
だんだんと日が暮れてきました。銚子から千葉までは安定の209系www2時間の乗車も、部員とボックスシートで駄弁ってればあっという間。
最後は千葉からは総武線快速で東京へ。こうして2012年度新歓は幕を閉じたのでした。

私的にはですが、未乗の久留里線や銚子電鉄に乗ることができて非常に楽しい旅行でした(≧▽≦) キハ30やデハ2000など、貴重な車両にも乗ることができたし、115系を撮ることばかりに熱中している私にとっては、列車に乗ってゆっくり旅するなどはとても久々で、その分新鮮でした。普段あまり訪れることのない千葉ですが、こうしてみると、魅力がまだまだたくさんあるのだということを実感したのでした。また、「新歓」ということで積極的に新入生とも交流しました。普段知ることのできない意外な一面なんか知っちゃったりなどw まぁ、何より新入生が楽しんでくれたのならそれで良し!次回の夏合宿がとても楽しみですねw

以上で旅行記は終了です。最後までお読みいただきありがとうございました。

あとがき

久留里線では、長らくタブレット閉塞が用いられていましたが、残念ながら2012年春のダイヤ改正を機に特殊閉塞方式へと移行してしまいました。今回の旅で、キハ30などの珍しい気動車に乗ることができたのはうれしいのですが、やはりタブレットを見れなかったのは非常に心残りです。
そこで今回は、前橋に住む知人の協力の下、今は無き久留里線のタブレット時代の画像をお見せしたいと思います。

久留里線 久留里駅にて。
ちょっと小さくて見にくいかもしれませんが、お分かりいただけるでしょうか?100年前の開業当初から残る歴史ある光景です。この運転席の窓越しにタブレットを渡すところがたまらないですよね!久留里線タブレット廃止により、JR東日本管内でタブレット閉塞を使用しているのは、只見線の会津坂下〜只見間のみとなってしまいました...。
最後にこの画像を提供してくださった知人に、この場を借りて厚くお礼を申し上げます。

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