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旅行記

8月12日〜8月17日 東北方面

旅行記 その4

4日目。ついに合宿最終日ですね...>< まずはホテルにて、バイキング形式の朝食!わかめごはんやスイカ、それに季節外れではありますが青森県産りんごも食べられました。食後、タクシーにて弘前駅へ。
弘前からは花輪線との接続駅である大館へ。雨がザーザー降っていて少々心配でしたね。なお、車内ではみんなすやすや寝ていた模様w
大館からは花輪線!終点盛岡まで3時間という長丁場です。途中好摩〜盛岡間はIGRいわて銀河鉄道を走行します。写真はスイッチバックを行う十和田南駅にて。
鬱蒼とした、ものすごい山の中を列車は走ります。よくこんなところに線路を敷いたなぁという感じです。IGR区間はほとんど寝て、盛岡到着。
盛岡から北上までは、盛岡支社の紫色701系に乗車。50分で北上でしたが、意外と長く感じられました。東北本線沿線の特徴として、車窓がどこも全般的に同じということが挙げられるからでしょうか...。
北上から平泉までは、電化区間なのになぜかキハ100系の5連www キハ100ということで、運転台が全部で10個もあるんですよwww まぁトイレも5個付いているってことでもありますね ()
平泉着。世界遺産の街「平泉」にふさわしく、駅舎もそれらしいものに変わっていました。中尊寺まではタクシー分乗で移動。大人数だったので、バスとほとんど変わらない値段で行くことができました(´3`)
こちらが中尊寺の本堂です。中尊寺と言うと、あの金色に輝く金色堂をイメージしがちですが、あれは「中尊寺」の中の「金色堂」であって、中心となる本殿はこっちなのです。
中尊寺の歴史は大変古く、850年に慈覚大使円仁によって開山されました。写真の本堂は、1909年の再建です。
さて、かの有名な金色堂へ。金色堂は、一定の湿度を保ち劣化を避けるため、コンクリート製の覆堂の中に入っています。金色堂は1124年の造立で、中央の壇の中には、奥州藤原氏初代の清衡公、向かって左の壇には二代基衡公、右の壇には三代秀衡公の遺体と四代泰衡公の首級が納められています。900年近くずっと平安の世から輝き続けているのには本当に感動しました!平安時代の人々の浄土信仰がよく表れていますね。なお、金色堂は撮影禁止となっていました。それにしても、世界遺産の金色堂なのに、覆堂はこのようなコンクリート製でいいのか、甚だ疑問ですね。
中尊寺境内には、そのほかにも、歴史的価値のある古い建物があります。写真は、室町時代に造られ、1962年まで使われていた旧覆堂です。周りの木の葉が美しいですね。
坂を下り、ふもとの食堂にて盛岡名物の冷麺をいただきました。冷麺は初めてで、麺がゴムのように硬かったですねw 冷麺だけではなく、手打ちそばなどもありました。そしてここでも悲劇発生。出食の遅れでまたしても列車に間に合わないという...。でも、1時間遅れせて、解散をほっとゆだ駅流れ解散に変更したため特に支障は出ず、ついでに合宿の総括もここで行えました。余裕を持った行程作りは本当に大事です。
平泉から北上までは、元来た道を戻ります。あぁ、もう夏合宿もおしまいかぁ...
そしていよいよ念願の北上線o(≧▽≦)o ほっとゆだ駅到着時にて流れ解散となり、多くの部員はほっとゆだに入浴するため下車しましたが、ほっとゆだ〜横手を乗り残すのが嫌なので、私は大曲から秋田新幹線のマスカット氏と顧問の先生と一緒にそのまま横手へ。ほっとゆだでみんなを見送ったときは何とも言えぬ悲しさでした。
暮れゆく北上線の車窓です。北上線の特徴として、線形がとてもいいというのが挙げられます。カーブも緩やかですし、駅の有効長は多分10両分はあるでしょう。昔から重要な路線だったのでしょうね。あけぼのが北上線を迂回運転する理由がよくわかりました。
横手到着。こうして2012年東北夏合宿は終了したのでした...。

旅はまだまだ続きます!解散後の旅行記は下記リンクからお入りください。

【夏合宿解散後】 東北より帰京

旅行記 、4

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