中国旅行記 その4

〜始皇帝の謎と野望を解き明かせ〜

中国旅行四日目。
この日は、西安市街の東に広がる遺跡群、兵馬俑・秦始皇帝陵・華清池をセットで訪れました。通称「東線ルート」と呼ばれている観光ルートです。
写真は、永寧門から西安駅前まで利用した603路バス。市中心部と西安駅とを結ぶメインルートで、何とバスは二階建て! 未だバス輸送が中心の西安では、このようにしてでも輸送力を確保しなければならないのでしょうね。ラッシュ時は5分に1本は来ます(笑)
西安駅前のバスターミナルから最初の観光地「華清池」までは、写真の游5路バスに乗車。游5路バスとは、西安駅前から華清池・兵馬俑とを結ぶ観光用高速バスのことです。華清池には50分くらいで到着しました。
※駅前には「兵馬俑に行かないか〜」と観光客目当てに誘ってくる案内人がたくさんいますが、素直に游5路バスに乗るのが確実ですし、ボッたくられる可能性も低く安全です。後々のトラブルを避けるためにも無視して游5路バスに乗りましょう。
華清池に到着! 華清池とは温泉と景色が美しいことで知られる景勝地です。温泉は2700年前にはすでに発見されていて、歴代王朝によって離宮が建てられ、その中に浴槽が造られたのだそうです。特に有名なのが唐代の華清宮で、唐の玄宗皇帝と絶世の美女楊貴妃とのロマンスの場として広く知られています。ここで楊貴妃が温泉で美肌を磨いたというエピソードは、白居易の「長恨歌」という有名な詩に詠われています。楊貴妃は西施らと共に中国四大美女の一人に数えられていますが、安史の乱を引き起こし唐を滅亡へと導いたとして「傾国の美女」とも言われています(笑) ただしその後華清池は荒廃し、現在の華清池は光緒帝の時代に再建されたものが基本になっています。楊貴妃、安史の乱では悲劇的な死を遂げてしまったんですよね...。玄宗と成都へ逃げる途中に護兵が反乱し、「こうなったのは全てお前らのせいだ!」として殺害されたのです。
玄宗皇帝は、楊貴妃のためにこの巨大な「華池宮」を造ったのだそうです。ここに玄宗と楊貴妃が本当に居たんだなぁと思うと非常に感慨深いです!
池には何やら巨大なステージが用意されていました。実は、その名も「長恨歌」という名の、楊貴妃をモデルにした華やかな演劇が行われているそうです。一度見てみたいのですが、一番安い席でも軽く200元は超えるので無理ですね(´ω`。)
華清池の山側には、写真のような中国的な場所が広がっています。まさに「離宮」って感じですよね!!
山の斜面に沿って造園されており、たくさんの道があって散策がとても楽しいです。石造りの壁が美しくて 萌えます(笑)
突然ですが、何だか分かりますか?
実はこれ、西安事変の際に銃弾が当たって割れた窓ガラスなのです。西安事変が起きたのは1936年12月12日。抗日運動を抑圧し、対共産党作戦にだけ夢中になっていた国民党(当時の中華民国)の蒋介石は、ここ華清池に泊まり込んでいました。そこに、共産軍との内戦停止と一致抗日を支持していた張学良の部下らが反乱を起こし、蒋介石を幽閉。そこで共産党の周恩来と蒋介石とが交渉を重ねた結果、「抗日民族統一戦線」となり、いわゆる「第二次国共合作」が実現したのでした。つまりここ華清池は、玄宗皇帝と楊貴妃とのロマンスの場であれば、近現代中国史においても重要な場所でもあるのです。
蒋介石らが使った「会議室」。
余談ですが、華清池には台湾(国民党)の政府の方々も大勢訪れているそうで、関連写真がたくさんありました。まぁ彼らからすれば、初代総統が幽閉された場所ですからね...。
続いて再び游5路バスに乗って向かったのは、兵馬俑ヽ(*´∀`)ノ 言うまでもなく世界遺産。最早知らない日本人はいないでしょう。兵馬俑とは、簡単に言うと、秦の始皇帝陵を守るために作られた等身大の兵士の陶器のことです。
写真は、入り口にあった始皇帝像。デ、デカい...(笑) でも、初めて中華を統一したという威厳を表現するためにはこのくらいじゃなきゃダメですよね。余談ですが、華清池、兵馬俑及び秦始皇帝陵は、驪山(りざん)という山のふもとにあります。特に兵馬俑と秦始皇帝陵は、ふもととは言っても結構山の中腹に位置しているため、軽装で行くと大変なことになります。この日は雲っていたため尚更でした。従って、厚着で行くことを強くお勧めします(経験談
入場券(学生は何と半額の75元!)を払い、中学校の体育館のような建物に入ると......
兵馬俑キタ━━━ヽ(゚∀゚*)ノ━━━!!
うおぉ!!! これが本物の兵馬俑かぁ!!!
始皇帝兵馬俑博物館には、1号抗〜3号抗があり、皆さんがよく目にするのはこの写真ではないでしょうか? 写真は1号抗で、最大かつ最も有名な抗です。
それでは、兵馬俑についての解説を。
兵馬俑が作られたのは、始皇帝による中国統一(紀元前221年)から死ぬ(紀元前210年)までの約10年間だと推定されています。始皇帝陵の隣に、始皇帝の近辺を守る等身大の近衛兵の軍団をそのまま地下に造ったのです。死後も彼らに守られ続けることを夢見たのでしょう。  これらの兵馬俑は2200年の眠りの後、1974年、一人の農民の井戸掘り作業の途中で偶然発見されました。その学術的・歴史的価値の高さから「20世紀最大の発見」とも言われ、現在でも継続的に発掘調査や修復作業が行われているようです。
すごいというか、奇跡的ですよね。農民が掘り当てなければきっと永遠に眠り続けていたことでしょう。この農民にとっては一攫千金だったのでしょうが(笑)
一体一体、顔の表情が本当に違うんですよね...。クラスに居そうな顔の兵馬俑さんも居ましたw これらが2200年も前のものだというから、当時の技術の精巧さに脱帽です。2200年前の人間ってどんな顔してるんだろうって思っていたのですが、今と全く変わらないのですね(笑) ちなみに、私のカメラでは全部顔認証するほどでした!
手前の兵士、右手が直角に曲がっていますが、これは埋葬当時木製の武器を握っていたためです。長い年月地中に埋まっていたらそりゃ腐って消えちゃうって話です。兵士の服装によって等級も決められているそうです。
奥には発掘現場と、修復を待つたくさんの兵士たちが! 現在も多くの兵士が地中に眠っています。
こちらは3号抗。3号抗は一番小さな抗ですが、ここが兵馬俑軍団全体の司令部だったと考えられています。好厉害啊!
写真にご注目を。兵馬俑に着色がされているのがお分かりいただけるでしょうか?
今は全身灰色の兵馬俑ですが、当時は全てに着色がされていました。使われた色は、黒、黄、白、青、赤の五色。この五色には深い意味があります。実は、黒はは北方の腐植土の色を、黄色は中原(洛陽、西安など当時の政治文化の中心地)の黄色っぽい砂の色を、白は西域の砂漠の色を、青は東の海を、赤は南の鉄分の多い土色をそれぞれ表現しているんです! つまり始皇帝は、多様な人材を束ね、そして「中華」を「統一」したことを、この「五色」によって誇示したのです。これは、NHKの番組によって予習した知識です。こうしてみるとすごいですよね。始皇帝がこんなことを考えておられたとは...。
兵馬俑のお土産を買い、写真の無料シャトルバスに乗って隣接する秦始皇帝陵へ。兵馬俑と秦始皇帝陵は共通の入場券で入場できます。
ついに来ました秦始皇帝陵(・∀・) こちらも世界遺産に登録されています!
始皇帝陵は中国最大の墳墓で、陵は70万人の囚人を使い39年間かけて築かれました。中には壮大な地下宮殿築かれていると言われていますが、現在に至るまで全く発掘はされていません。写真の山のようになっているのが始皇帝陵です。
陵の周囲に遊歩道があり、バカデカい始皇帝陵をひたすら歩いて一周しました。
さて、始皇帝についてですが、読んで字の如く、彼が初の「皇帝」であることはよく知られていますが、そもそもこの「皇帝」という言葉本来の意味を皆さんご存知でしょうか? 始皇帝は、「中華帝国に天の中心である皇帝によって天下を築く」とし、自らを天の中心である北極星にたとえました。そこで、北極星は煌々と輝いているので、「こうこう」の「皇」と、それに北極星を表す「帝」を付け加えて「皇帝」という名称を編み出したのです。皇帝とは、「煌々と輝く北極星」のことだったのです。まさに自分こそが北極星であり、世界の中心であるという「中華思想」の表れですよね。NHKスペシャルより。
70万もの囚人を雇って造られた陵は、今は緑美しい自然公園のようなものになっていました。始皇帝が我々に残したメッセージとは何か? 自問自答を繰り返し、大地の感触を一歩一歩確かめながら一周し、再び無料シャトルバスに乗って兵馬俑前へ。游5路バスで西安駅前へと戻ったのでした。
市内観光へ戻る前に、翌日の4937列車硬座の切符と、28日の鎮江〜上海虹橋の高速鉄道、D5465列車一等席の切符を駅窓口で購入しました。一等席と言うと高そうに思われるかもしれませんが、二等席(一般的な新幹線普通車両の座席)とは13元しか変わりません。13元で日本では滅多に乗れない新幹線グリーン車に乗れるのならと、少々奮発しました(笑)
西安駅前から41路バスに乗り、次に向かったのは青龍寺。青龍寺が創建されたのは、隋代の582年。青龍寺は実は、空海が学んだ仏教寺院なのです。帰国後、空海は高野山に金剛峰寺を建立し、真言宗の開祖となったのはあまりにも有名です。仏教はシルクロードを通じて西安へ。そして空海によって西安から日本へ。日本との繋がりが大変深いと言うか、真言宗のルーツはここにあったのですね!
御堂の中です。写真左の仏像が在りし日の空海だそうです...。中国で「日本人」と「再会」したわけですねw
空海が密教の奥義を教わっている様子だそうです。
境内に「願いが叶う木」があったので、短冊を青龍寺に結び付けてきました。日中友好の地である青龍寺にこのような文字を残せたことは大変光栄なことです。願い、届け!!
青龍寺前の屋台では、写真の方々と相席に! 左から屋台のお店の方、おばあちゃん、お母さん、お孫さんです。お孫さんは1歳2か月で、まだ中国語を話せないそうです。日本の高校生で列車で来たと言ったらとても驚かれました。偶然知り合った人々と仲良くなれるのはこの上なく幸せなことです! おばあさん、いい人オーラが漂ってますね(笑)
青龍寺周辺では「桜祭り」という名の祭りをやっていたので、私も飛び入り参加d(´▽`)b 大連のイカ焼きや天津小吃や長沙の臭豆腐や成都の担担麺やモンゴル式羊肉串や台湾スイーツやインド料理など、まさに地上の楽園。中国全土、いや世界中の料理が集まっている様はまさに古都長安。私は時間を忘れ、ここでひたすらつまみ食いしてました(笑) 好吃啊!
写真左のノリノリの男性は、中国人ではなくモンゴル人。中国語は全く話せず、右の男性に通訳をしてもらいながら店を経営している感じでした。この男性のノリの良さは異常で、撮影にも快く応じてくださいました!
中国は歴史も長ければ夜も長い!
写真は大雁塔前の広場です。大雁塔や噴水や街路樹がカラフルにライトアップされていてなんとも幻想的な光景。音楽に合わせた噴水ショーなども行われており、旅の疲れが癒されました。この後地下鉄に乗ってホテルへ。
ホテルに戻った後、ビュッフェでコーヒーを飲みながら写真のお二方とお話しました。浙江省紹興出身の重慶大学の学生さんだそうです。紹興と言うことで、「紹興は魯迅と周恩来の故郷で、紹興酒と蘭亭序で有名ですよね〜」とか、「重慶は坂の多い大都会で、モノレールが走ってますよね〜」とか話してあげたり、江南の白地図を書いてあげたりしたら驚かれました(´∀`) 日頃の「勉強」の成果を存分に発揮することができました。これらはガイドブックを読みまくって付けた知識です。日本に行ったことはないそうですが、友達が明治大学に留学中とのことでした。
四日目終了! 早いもので、もう旅行も折り返し地点を通過してしまいました...。悲しいですが、明日は中国旅行のハイライトである「五丈原諸葛亮廟」を訪れるとあって、明日に夢を膨らませながら寝ました。

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