中国旅行記 その7

〜長江に抱かれた素朴な歴史都市〜

中国旅行七日目、早上好!
一夜明け、T140列車は定刻通り江南の大地へ。車窓に荒涼とした黄土ではなく菜の花と草と、それに住宅街が広がっていることからも、広大な中国大陸を移動しているのだという実感が湧いてきます!

YouTube動画: T140列車 南京〜鎮江
YouTube動画: T140列車 蚌埠〜南京
車内の様子です。南京を過ぎると車内はこのような閑散とした状況に(笑) まぁこの列車、南京着が9時28分、上海着が12時58分なので、西安から南京への客を目当てにした列車と言っても過言ではないでしょう。寝台でご一緒した中年夫婦とは南京駅でお別れしました。
車内の様子その2。硬臥寝台を上から俯瞰するとこのようになります。左に見えるのが荷物置き場で、キャリーバッグなど大きい手荷物は皆さんここに置いています。後は下段ベットの下に押し込むって感じです。さらに驚いたのが、硬臥寝台であっても各コンパートメントにTVモニターが付いていたこと(゜ロ゜) 車内も清潔極まりないですし、中国鉄道もここまで進歩したものかと、正直驚愕させられましたねw
镇江站,到了〜!!
うーん、この客車の色とホームの雰囲気...。やっぱり「社会主義国」っぽいですよね(笑) 鎮江には定刻よりなぜか10分早く到着しました。
お土産の量が半端なく、このまま大リュックを背負い続けると観光に支障が出ると判断。駅前に手荷物預り所を見つけたので、大リュックを預けることに。盗難される可能性もありましたが、背に腹は代えられません!!!
ちなみに中国語では、手荷物のことを「行李(Xing Li)」と言います。「手荷」とかじゃないんですよ。中国語の面白い所とは、単純に漢字文化圏であってもこのように字が大幅に違うところにあるんですよね〜! それを自分なりに「発見」するのが中国語学習の面白さだったりします。
鎮江駅前から2路バスに乗り、やってきたのは、長江にほど近い「西津渡」という所。今までにない石壁の道。高まります!
うひょーw w w w w
これですよこれ、私がガイドブックで見て一目ぼれした光景ですよ!
西津渡は石畳と石壁の街並みが全長1qほどにわたって続くエリアのことです。古くは唐代から長江の渡し場として栄え、以降清代までの各時代を経て今の規模になりました。なんと、中国で最も保存状態が良く、歴史が長く、規模の大きな渡し場として全国的に知られているそうです。1000年前の建築物(!?)も残っているようで、別名「宋街」とも呼べれているのだとか。それにしてもヤバい、ガイドで見たいた憧れの光景が自分の目の前にあるだなんて...。俺はついに辿り着いたんだなぁ...。
こちらは、西津渡中心部にある「昭関石塔」というもの。石門の上に乗っている石塔がそれで、創建されたのはなんと元代(*゚0゚) チベット様式の不思議な塔で、西津渡の悠久の歴史を物語っています。
階段の真ん中にレール(?)のようなものが走ってますよね。実はこれ、前輪の付いた荷車を押すための専用レーンなのです! 清代に造られたものなのだとか。渡し場らしいユニークな発想ですね。
奥はこのようにお店が軒を連ねる商店街となりますが、鎮江自体が小さな町なため、観光客は少なめ...。でも、おかげでじっくり西津渡を味わうことができました。鎮江では醤油が有名なようです。
光が反射しちゃって大変わかりにくいのですが、各時代当時の「路面」なのだそうです。清代から唐代までの路面が上から見れるようになっているんですよ! 言うまでもなく、清代のものが上、明代、宋代、唐代...と、階段状に下がっていきます。特に清代は細かく分けられていて、「あー、当時の人はここを歩いていたんだなぁ...」と思うと感慨深かったです!!
にゃーん(=^・^=)
猫が毛づくろいしてました。かわいい!
U>ω<){ワンッ)
ワンちゃんも石畳に寝そべってお昼寝(笑) 西津渡ではゆったりとした時間が流れます。
西津渡の次に向かったのは、すぐ隣の鎮江博物館館内にある旧イギリス領事館へ。1856年にアロー戦争(第二次アヘン戦争)が勃発。その後1858年に結ばされた天津条約により、鎮江は開港。そして、イギリスの領事館ができたという訳です。鎮江は同じく長江沿いの南京や武漢と共に開港させられたので、いかに鎮江が長江上において重要な場所だったかが伺い知れると思います。
20元を支払って館内へ。領事館の歴史についての展示パネルがありましたが、それ以外の部屋には一歩も入れさせてくれませんでした...>< 写真も部屋の入り口から撮っています。これで20元かよ...。
バスに乗り、やってきたのは金山寺。かの有名な雪舟も二度訪れたことのあるという歴史あるお寺で、後述の焦山、北固山とともに「鎮江三山」の一つとして数えられています。中に入ると......
(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
凄すぎましたこれは...圧巻の黄金の大仏様が三体も...。ガチで鳥肌もんです。まるで私は仏の世界に吸い寄せられたかのように、しばし大仏様の安らかなお顔を見つめていたのでした。
辺り一面の黄色い壁(笑) 急坂を登り、写真の慈寿塔へと向かいます。清代光緒年間に再建されたそうです。
慈寿塔の頂上より。金山寺が山の斜面を活かして建設されていることがよく分かると思います。塔からは長江も見渡せました!
バスがなかなか来なかったので、タクシーで次なる目的地である北固山公園へ。ここは山全体が一つの公園となっており、劉備と孫権が曹操を倒す計画を練った場所として知られています。小説「三国志演義」では、劉備と孫権が剣でそれぞれ石を切り、どちらが天下を取れるか占ったといわれており、それを示す(!?)「試験石」という切れ目の入った石が残されているくらいですw
そのため、北固山公園は三国志スポットとしても有名です。園内には、それを思わせるかのように城壁が!
こちらが名物、その名も「鉄塔」です(笑) でも、宋代の1070年ごろに造られたものらしく、希少価値は抜群です。
楼閣があったので上ってみると、目の前には長江が!! ただしこの楼閣、建造して間もないためか靴に布製のカバーをつけて歩かねばならず、結構大変でした...。
北固山公園、雰囲気としては、昨年訪れた蘇州の虎丘を彷彿とさせます。自然豊かでいい公園でした!
帰りの新幹線の時間に間に合うか微妙でしたが、中途半端に時間が余ってしまったので、当初予定にはなかった焦山公園へ。焦山とは長江に浮かぶ島のことで、写真の渡し船を使って上陸します。焦山は古来より長江防衛における重要な場所で、アヘン戦争時は戦場となったそうです。
焦山公園、戦争で古い建物は全て焼けているのだと思っていましたが、かなり古い建物も残っていました。私は時間の都合で1時間しか居られませんでしたが、最低でも2時間は観光されることをお勧めします。 貴重な石碑や盆栽を展示しているところもありました。
こちらが焦山のもう一つの「顔」である、アヘン戦争の砲台跡。こんな感じの要塞が10個ほど残されていました。今は林で覆われてしまっていますが、当時は向こうに長江が見えていたのでしょう。てか、そもそもイギリス艦隊に届いていたのかが微妙なのですがww
くねくねとした登山道を登り、焦山のてっぺんの万仏塔を目指します。紫色の花々が美しい(≧∇≦)
万仏塔に到達!!......が、しかし.......

【悲報】営業時間を過ぎていた\(^o^)/

マジかよ...折角頑張って上ったのに...。塔からは鎮江の街並みと長江の絶景が見渡せると聞いて行ったのですが残念でした。泣く泣く下山しましたw
新幹線の発車時間が近づいてきたので、バス乗り場へ。しかし......

【悲報】バ ス が 来 な い

他の経路のバスは来るのに、なぜか鎮江駅方面へ向かうバスが一向に来ないんですよ。焦山自体が街の外れだからでしょう、タクシーすら来ません。明日は帰国の日。何としてでも新幹線に乗って上海に着かなければなりません。刻々と過ぎる時間、焦る俺......。
30分ほど待ってやっとバスが来ました! しかし、夕方の大渋滞にはまり市街ではノロノロ運転orz 発車時間は18時21分ですが、結局着いたのは18時過ぎ。しかも鎮江駅からは離れたところに降ろされました。あと20分で大荷物を受け取り、荷物検査を済ませ、駅南側の新幹線ホームにまで辿り着かなければなりません。私は自転車顔負けのスピードで突っ走り、大荷物を受け取り、何とか無事に駅に着いたのでしたフゥ(o´Å`)=з
昨年と全く同じですよね。昨年はバスを乗り間違えて全力ダッシュ、今回はバスが来なくて全力ダッシュ...。中国のバスが時間が読めないので仕方ないのですが、もう少し、強行軍ではなくじっくり余裕をもって観光すべきだったと反省しました(白目 まぁ間に合ったからいいですが(笑)
駅に着くや否や、そのまま猛烈な勢いでホームへ。ちょうど列車が入線してきたところでした(苦笑)
今回乗車したのは、D5465列車。いわゆる「新幹線」なのですが、時速300キロで走るG列車と違って、D列車は多くの駅に停まる分遅いのです。しかし、G列車と比べて料金が安いというメリットがあり、浮いたお金で一等軟座(グリーン車)に乗ることにしたのです。いやぁ、間に合ってよかった!
この列車は安徽省の合肥から来る列車でした。終点の上海虹橋駅を目指します。
新幹線グリーン車の車内です。これに1時間半乗ってたったの1300円とか(笑)
車内では、鎮江駅の売店で買ったオレオとミルクティでプチ宴会! 暮れゆく江南の景色を眺めつつ、少しずつ上海に近づいていることを実感させられたのでした。
上海虹桥火车站,到了 〜(*^o^*)
西安から1500キロ、私はついにホームグラウンド上海に帰ってきたのです! 初の中国大陸縦断をここに成功させたのです!
車両はCRH2型E2系でした。さて、今晩の宿泊地へと向かいます。
上海虹橋駅から地下鉄2号線と4号線を乗り継ぎ、やってきたのは「大連路」駅から徒歩10分ほどの「那宅国際青年旅舎」というユースホステル。おしゃれな外観ですねv(⌒o⌒)v とは言っても一泊するだけですが(笑)
お部屋......ってか、後ろのうさぎの絵w w w
WI-FIもちゃんと繋がった(LINEもYahooも両方使用可)し、ベットも柔らかく、シャンプー/リンスも完備で、しかも上海市内とは思えないほどお手頃な価格。このホテル、また上海に来た際は是非利用したいです!

22日に上海に来てから西安までの3000キロを往復し、こうして再び上海に戻ってこれたことへの充実感...。無事に予定通り戻ってこれたのは本当に嬉しいことですが、明日には日本に帰っているのだと思うと、喜びと悲しみとが交錯し...。翌日は5時起き! 最後まで気を抜かず、荷物を整え次第速やかに眠りにつきました。一路平安!

旅行記 、7、8

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