中国旅行記 その6

〜栄光の大唐帝国、今ここに蘇る〜

中国旅行五日目。
この日は西安市内観光後、T140列車にて鎮江を目指すという行程でした。写真はホテルの中庭です。夜になるとベンチには外国人がたむろしていて国際的な空間でした!
地下鉄に乗り、まず最初に向かったのは陝西省博物館。敷地面積は7万uという巨大な博物館で、展示品はどれも貴重なものばかり(・∀・) 入場料は無料です。
「陝西省の博物館」ということで、ここにも兵馬俑があります。この間見ましたが(笑)
こちらは、かつて唐朝を支え、華やかに彩っていたであろう文官・女官たち。こんなに居るんですよ!
唐代に作られたものだそうです。シルクロードの砂漠を行き交った旅人とラクダたちですね...。あぁ、情景が目に浮かぶかのよう。
2時間ほどで陝西省博物館見学を終え、そのまま東に歩いて大雁塔へ!
大雁塔は玄奘三蔵(三蔵法師、のちの孫悟空)がインドから持ち帰ってきた仏教の経典を保管するために造られた塔で、創建はなんと652年! つまり、1360年も前のものになるのです! ただ、外壁は明代にレンガ造りにされたとのことで、唐代からの原型をとどめているわけではないようですが、それでもずっと同じ場所に建ち続けているのは素晴らしいことなのです。
玄奘がインドへ旅だったのは、西暦629年。太宗皇帝の下で、当時は一つの法典の解釈に様々な意見がぶつかり合っていた時代。そこで玄奘は、出国禁止の掟を破ってまで旅に出たのだそうです。彼が帰国したのは西暦645年。実に16年ぶりのことだったのです。写真の像が玄奘です。雄大な大雁塔をバックに。
入場券を買って中へ。大雁塔は慈恩寺という寺の境内にあります。この慈恩寺の創建自体が648年とあって歴史的な建築物が多く、それらを見ているだけでも十分楽しめます。では早速大雁塔に登ってみましょう!
こんな感じで階段を登っていきます。結構しんどかったデス...。
大雁塔の最上部より南方を望む...ってかPM2.5!!!!!
ちなみに私はこの旅行中、一度もPM2.5対応マスクを装着しませんでした(´∀`*) 今思えば勇者ですね(白目 でも、北京の様な「真っ白」状態ではありませんでしたし、遠くのビルが見えない程度だったのでまぁ大丈夫かと(笑) 画面中央に何やら軌道線が伸びていますが、これは大雁塔周辺を巡回するモノレールだそうで、運転開始は5月からとのこと。ずっと「モノレール来ないかなぁ」って期待してたんですけどねぇ...>< ただし本格的な交通機関ではないようで、ディズニーリゾートのモノレールのようなものだと思っておいてください。開通したらまた西安に行きたいです!
屋根瓦にまで細かく模様が描かれていました。
大雁塔観光を終えバス停を探していると、路地に展開する野菜市場を発見! あまりにも野菜の色彩が鮮やかだったので思わずシャッターを切ってしまいました。特にトマトが鮮やかで、かぶりつきたくなるような水水しい色でした。
こちらはフルーツコーナー! 看起来很美味啊!!
続いて向かったのは、ホテルのある南門のすぐそばにある碑林博物館。碑林(後述)を専門に展示する陝西省立博物館で、外国人が訪れるべき観光地ベスト50にも指定されているのだとかv(^∀^*) 歴代の碑林が保存されているので、西安に来たからには必見です。
まずこの建物群自体、孔子を祀る孔廟の再利用とのことで、建物は明・清代に建てられたものばかり。そのため、碑林だけではなく建物にも魅力があるのでお勧めです。
さて、先ほどの「碑林」と書かれた廟の中には、碑林博物館の目玉ともいえる、唐の玄宗皇帝直筆の石碑があります。碑林とは文字が刻まれた石碑のことで、どれも写真のようにとにかくデカい!! やはり唐代となると、漢字が今のものとは全然違いました。
館内はこんな感じで、とにかく碑林の数が多いこと多いこと(苦笑) 全部見ようと思うとマジで目と足が疲れます。興味のないものにとっては碑林は苦痛でしかないと思われますが........
キタ━━━━(゜∀゜)━━━━ !!
しかも宣w w w統w w w二w w w年w w w
これなんですよ碑林の醍醐味は! 石碑の最後に書かれた年号で、どの皇帝の時に書かれたのかが分かるんですよね。ちなみに宣統二年とは1910年のこと。清朝が滅びたのは1912年ですから、つまり清朝が滅びる直前までこんな古典的なことをやっていたことになります。大変興味深いですよね。中国では、皇帝の名前が元号に使われていましたので、宣統二年とは、「宣統帝が即位して二年目」という意味になるのです。言うまでもなく、宣統帝とは清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀のことですね。ちなみに、この「宣統帝」という名前は、「ごく少数の満州族が大多数の漢民族を支配するという清朝の統治理念を宣伝する」という考えに由来しているそうです。「統治理念」を「宣伝」する皇帝、何だか可哀そうですよね(笑)
こちらには「乾隆54年」と記されており、乾隆帝の時代に造られた石碑だということが分かります。その左には「甘粛省」と書かれておりますね。
乾隆帝と言えば、康熙・雍正・乾隆と続いた清朝黄金期の皇帝の一人ですが、正直この三人の中ではあまり好きじゃないんですよね...。確かに乾隆帝はジュンガルを平定し、清朝最大の判図を築き上げましたが、乾隆末期、悪臣こと和シン(シンは王偏に申)を重く取り立てるようになるとその治世は歪み始めました。人口増による社会的不安により農民反乱も頻発。さらに、乾隆帝は自らを「十回の遠征全てに勝った」と称していますが、実際は長きの平和により清朝八旗軍も腐敗しており、特に雲南地方では苦戦を強いられていたと言われています。その矛盾の「後始末」をさせられたのが次の嘉慶帝なんですよね。まぁ、康熙・雍正帝の時代が良すぎただけかもしれませんが(笑)
博物館のおじさんが、碑林の拓本(コピーのようなもの)を取っていました! 欲しかったですが、バカ高い値段で売られていたので断念。
前述の通り、碑林博物館は孔廟を再利用して造られているため、館内に入ると、明・清代にタイムスリップしたかのようです(⌒o⌒) この「修復されていない感」が素晴らしいんですよ!w
うーん...この黄色い屋根...。まるで北京の紫禁城に居るかのよう。清朝ファンにとっては堪らない!!
次に向かったのは、西安で最も有名かつ最大の清真寺(イスラム寺院)こと清真大寺。場所は、イスラム教徒の回族が多く集まる回族街の中心にあります。回族街とは、西安1日目で訪れた、あの異国情緒漂う繁華街のことでしたよね!そう、ここ清真大寺は、西安在住回族のよりどころでもあり拠点でもあるのです。
清真大寺が創建されたのは唐代の742年のこと。その後も歴代王朝によって拡張、修築が繰り返されてきました。そのため建築様式は中国風。しかし、殿内に動物模様を使用しないなど、装飾はイスラムの教えに基づいています。初めてのイスラム寺院、何だか新鮮です(笑)
寺はそれほど広くはありませんが、他の中華寺院とは違って鮮やかさはなく、とっても素朴な寺院です。
好厉害啊!!
今まで見てきた中で一番「修復されてない感」がしました。清真大寺は時間が余ったら行ければいいや程度にしか思っていなかったのですが、想像していた以上に素晴らしいお寺でした。西安に来た際は是非訪れてみてください!
こちらは本殿。逆行だったので全景は納められず...。木と木が複雑に組み合わさっており、歴史を感じさせられます。
夜行列車の出発時間が近づいたので、荷物を受け取りにホテルへ。途中でこんなものを見つけました。なんと、城壁のレンガが部分的に剥がれているではありませんかΣ(゚∀゚*) 中の土が丸見えですが、城壁の中が見れて良かったです。
最後にホテルのフロントの方と。兵馬俑の様な顔をされたこの方とはとても仲良くなり、コイン交換までしてしまいました(笑)
西安書院国際青年旅舎さん、4日間お世話になりました! また来るよ!
いよいよ西安との別れの時。あぁ、帰国も見えてきたなぁ...。でも、「翌日には待ちに待った鎮江観光が待ってるんだ!」と思えば悲しくはないです。
写真は西安駅待合室にて。高い天井が良いですねぇ。旅情が駆り立てられます!
「T140次 20:02开 开往 上 海」
西安からの帰りは、T140列車に乗車しました。T140列車は西安始発の上海行きですが、私は途中の江蘇省鎮江にて途中下車しました。行きのZ92列車は「Z」とだけって160キロ対応車でしたが、今回は「T」列車なので、140キロ対応車でした。指定されたのは硬臥寝台9号車4番下段。二度目の車中泊です! 西安バイバーイ!!
車内では、現地の風習に従って、売店であらかじめ購入しておいたカップラーメンを食しました(;≧∇≦) 列車には給湯器があり、中国人の間では、列車内でカップラーメンを食べるのがブームになっているのだとか。でも、実はカップラーメンって日本の発明品だったりするわけですが(笑)
車内では、西安在住で、南京に旅行に行くという中年夫婦と、日本語は話せないものの、東京で6年間働いていたという男性の方とご一緒しました。夫婦のうち男性の方は山東省済南の出身だということで、「曲阜は孔子の故郷で、青島はビールで有名で...」と、山東省トークをしてあげたら喜んでくださいました! 山東省、もちろん行ったことないんですけどねw
列車は定刻通り西安を発車、ひたすら東へ東へ。 最終目的地である上海へと近づいていくのでした。

旅行記 、6、、8

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