中国旅行記 その2

〜白壁と黒瓦の水郷に、明・清代の面影を忍ぶ〜

二日目。
朝6時に起床し、大リュックだけをフロントに預けて観光に出発! この日の天気予報は一日中雨で、しかも降水確率98%(!?)とのことだったので、取りあえず行けるところまで行ければいいや的なノリで出撃(笑)
新閘路駅から1号線に乗ることわずか一駅、人民広場駅で下車。この日は、上海市内に残る(上海市青浦区)水郷古鎮である「朱家角」を訪れました。
やってきたのは、人民広場駅から徒歩15分ほどにある「普安路(Pu an lu)」バス停。ここ普安路には、市内各地への路線バス乗り場が集中しています。昨年訪れたあの巨大な上海博物館のすぐ南にあるので、行けばすぐにわかると思います。取りあえずここまで雨は降っていない...。
普安路バス停からは、写真の「濾朱高速快線バス」に乗車です。この「朱」という漢字から想像が付くように、なんとこのバス、普安路バス停から朱家角まで直通運転なのですo(^▽^)o 運賃は12元で所要時間は約1時間。海外での路線バスが苦手な私にとって、この「直通」とはいかにありがたいものか...w
バスの車内。一般的に中国の地下鉄や路線バスの座席は固いプラスチック製ですが、この濾朱高速快線バスはまるで観光バスのようです! 時折雨がパラつきましたが特に渋滞もなく、1時間ほどで朱家角到着!!
バスは朱家角汽車站といういわばバスターミナルに到着します。遊覧船とその他観光がセットになったチケットを買うためチケット売り場へ。売り場へ行くには、まず目の前の通りを左に進み、八百屋が集中している角を右に曲がります。チケットを買って中に入ると...
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
発狂、感涙。これぞ俺が長い間訪れたかった水郷古鎮。
白壁と黒瓦、そして屋根につるされた赤ちょうちん...。まさに絵に描いたような「中国的」な光景。ヤバい...まるで明・清代そのままですよね。
凄い、凄すぎる...。
ここ朱家角に集落ができ始めたのは今から1000年も前のこと。大小36もの橋が架かる現在の町の原型は、明代の万歴年間(万歴帝が統治していた時代という意味。明の後期で、大体1600年前後)に出来上がったそうです。ここが上海市青浦区にあるというから驚きです。区ですよ区!!!

YouTube動画: 朱家角
雨が降らないうちにと思い、早速遊覧船に乗船。80元の共通チケットを買えば1回乗船できます。のんびりと水路を巡るのも面白く、水上から眺める街並みも魅力的でした!

YouTube動画: 朱家角 遊覧船
水郷古鎮は散策が本当に楽しい! 写真は朱家角で唯一残された木造の「廊橋」です。今から100年ほど前に建てられたそうで、石橋とは違った趣がありました。
朱家角の魅力は、水路沿いの家々だけではありません。写真は「城隍廟」という廟で、清代の創建。願いがかなうと言われる木には赤いリボンが結び付けられていました。
こちらは「大清郵局」といい、清朝末期の1903年に建てられた、上海に現存する唯一の清代の郵便局なのだそうです。
さて、写真はその館内なのですが...イマイチ趣旨が良く分からないというか...ここで本当に郵便の業務が行われていたの?って思うくらいです(笑)
で す が、館内には貴重な清代末期の写真がたくさん展示されていましたヾ(≧▽≦)ノ
弁髪姿の男性とか義和団とか義和団事件当時の八か国連合軍とか纏足女性とか西太后とか光緒帝とか宣統帝(溥儀)などなど...。(自称)清朝ファンの私にとってはサイコーでした(笑)
改めて思うんですけど、宣統帝の退位により清朝が崩壊したのが1912年2月、つまりたった100年前まで中国に王朝文化があったんですよね! これってすごくないですか? たった100年前まで皇帝が居ただなんて...。そう考えると、中国ってこの100年間で目まぐるしく変化しましたよね。辛亥革命によりアジア初の共和制国家となる中華民国へと変わり、満州事変に抗日戦争、国共内戦の末、国民党に替わって共産党が政権を握り共産主義化。毛沢東による大躍進政策や文化大革命などに代表される政治的混乱、そしてケ小平の下で推し進められた「改革開放政策」の末、今や中国は世界第二位の経済大国となった...。ざっと100年を振り返るとこんな感じですよね。これほど「国」という概念が顕著に変化した国は他にないと私は思います。
さ、清王朝トークはその辺にしておいて(?)、せっかくなので朱家角を隅から隅まで探検したいと思います。
写真はメインの通りから外れ、水路沿いの道をひたすら端へ端へといったところで撮影。この辺は流石に観光客もほとんど居なくて、観光地化されていない水郷古鎮本来の素朴さがありました。土曜日でしたが、曇り(そもそも雨予報)だったため、全体的に観光客は少なめで逆にラッキーでした(笑)
腹が減ったので、朱家角随一の繁華街である「北大街」へ! にぎやかですよね〜!
北大街には、レストランや小吃店や土産物店がズラリ。土産を買いながら呑気に食べ歩いてましたw
長くなりましたが、最後に朱家角のシンボルともいえる「放生橋」について紹介します。放生橋は全長72mという江南地方最大級の長さを誇る石橋で、建立されたのは何と1571年というから驚きです! さて、この「放生」という名前の由来ですが、橋の上から川へ魚を放つと願いが叶うと言われているからです。それにしても美しい、このシルエット!
橋の上より。今では観光客用に「放生」用の金魚が売られており、5元支払って私もやってみました。一路平安!旅の安全と成功を祈って!
以上で朱家角観光は終わりです。何と降水確率98%だったのですが、ここまで雨はほとんど降りませんでした( ´∀`) これって俺の日ごろの行いが良...(ry
帰りは土曜日だからか渋滞に巻き込まれ、1時間半近く掛かって普安路バス停着。その足で地下鉄10号線の陝西南路駅へ。日本人経営の旅行会社「デイズトラベル上海」という会社に伺いました。中国の鉄道は手配が難しいため、この会社に手数料50元で、今晩乗る上海〜西安のZ92列車硬臥寝台の代行手配をお願いしていたのです。確実性が要求される代行手配のため、私は旅の3か月ほど前から様々な旅行会社にメールで質問し、交渉を積み重ねてきました。その数何と10社以上! その中でデイズトラベル上海さんが一番信頼できると判断したため、今回お願いしたのです。というわけで、Z92列車の硬臥寝台代金+手数料の計381元を支払ってきました。いよいよ夜行列車です!
一旦今朝のホテルに戻って大リュックを受け取った後、1号線で上海駅へ。この頃になると本格的に雨が降り出しましたが、「よくここまでもった」というのが正直な感想です(笑)
写真は雨の上海駅。これから旅に出るんだなぁ〜ってこの込み上げてくる思い...。上海を離れるのは旅が終わってしまうかのようで寂しいのですが、まだまだ旅はこれからだ! そう、今旅のメインディッシュこと西安がまだ残っているのだから!
荷物検査を済ませ待合所へ。北京や成都や烏魯木斉など様々な行き先が電光掲示板に表示されており、旅情が駆り立てられました。着くのが遅かったのと始発なのとがあって検札が既に始まっていたため、ダッシュでホームへ。
Z92列車の車内です。パッと見、日本の寝台車と相違ないですよね。むしろこっちの方が新しくて明るいくらい(爆)
私自身、実は寝台に乗るのは3年半ぶりなのです。高岡に母の実家がある私は、当時寝台特急北陸で帰省していたんですがねぇ...。それがここ中国では、日本では斜陽となりつつある寝台列車が健在なのです。いや、健在というかむしろ長距離輸送の中心を占めています。鉄道ファンの私としても大変嬉しいことなのです(ノ≧∇≦)ノ
今回乗車したのは、Z92列車の硬臥寝台14号車19番下段。三段式寝台なので、かつての20系客車を彷彿とさせますね! 車端でしたが線路幅が標準軌なためか揺れはほとんどなく、日本の寝台車よりもずっと快適でした(笑)
車内では、西安に帰省するという中年の夫婦とドイツ人3人と相部屋に。ドイツ語なんて全く分からないんで、当然の如く中国人夫婦と終始雑談してました。東京、名古屋、京都を訪れた経験があるようで、日本の新幹線(恐らく東海道新幹線)とラーメンが大好きなのだとか。でも、やはり日本の物価は高すぎるそうです( ̄∇ ̄;) でも確かによく見ると、「日本に行ける身分」とだけあって、彼らはなかなか高そうな上着を着てましたがw
お腹がすいたので食堂車へ。何と中国では、短距離列車を除き、ほぼ全列車に食堂車が付いているのです! 素晴らしい、これぞ失われた日本の鉄道の醍醐味というか...。
割高なのは覚悟の上で注文。40元もしましたが(笑)
メニュー見てもよく分からないんで、相席になった方と同じ料理を注文。ご飯と野菜と肉の炒め物とスープのセットでした。この野菜と肉の炒め物、マズそうに思われるかもしれませんが、美味しい鶏肉とコリコリしたピーナッツとの相性が抜群で、さらに料理の下に沈んでいる辛いのとよく混ぜればチョイ辛でとてもおいしくなります! ただ、この野菜が私の嫌いなウドのようなもので、慣れるまで相当苦労しましたが...。
食後、食堂車内にいた写真右の方に「聊天〜(雑談しようよ〜)」と言われたので、隣のテーブルにて雑談開始!! なまりがキツかったですが、面白くて優しい方でした。ただ、尖閣諸島について唐突に聞かれたのには困惑したがw w w
彼とは乗務員に追い出されるまで語り合い、南京を過ぎてからようやく眠りにつきましたとさ。

旅行記 、2、、8

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