はぁ...... 6泊7日を過ごしたホテルや上海ともついにお別れ(泣)外国ではありましたが、ここまで長くいるとどこか懐かしさを覚えるような感じでした。いつまでもここに住んでいたいと思ったくらい。そのくらい私の中国に対する親近感や愛着は増していたのです。特にホテル周辺の東安路なんかは、我がホームタウンのような感覚でしたね。 浦東国際空港で8時40分の飛行機に乗るため、東安路駅を6時6分に出る7号線始発に乗車。龍陽路にて下車。 写真は東安路駅の駅名板。本当にお世話になりました。純粋に、日本に帰れるのだと思うとうれしいのですがねぇ...... |
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龍陽路からは上海リニアこと上海トランスラピッド!2005年から龍陽路駅と浦東国際空港との間で運行が開始されたもので、最高速度431キロ(!?)、所要時間7分半で結ぶ、れっきとした世界最速列車なのですヽ(゚Д゚)ノ例の、JR東海社長が「あんなのはおもちゃだ」と言ったものですよ(笑) しかし、注意しておきたいのは、朝夕は300キロまでしか出さないということ...。431キロ体験ができなかったのは残念でしたが、それでも十分早かったです。特に揺れなどは感じませんでした。こうして、人生初のリニア乗車芸を上海でキメたのでした。 |
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車内の様子。リクライニングのしない、ただの「ハリボテ」椅子が3+3で並んでいます。座席の快適性はイマイチでしたが、なにせ8分ほどの乗車なのでねぇ。 | |
そして上海浦東国際空港到着!40元という高額運賃を支払ったため、行きの2号線耐久レースよりは遥かに快適でしたw 写真は空港出発ロビー。天井の照明器具が今にも落っこちてきそうでアレ... | |
帰りの春秋航空です。これを目にした時に感じる、「日本に戻れるのだ!」という感情と、「もうお別れなのか...」という感情。二つの感情が私の中で交錯するのでした。 | |
指定されたのは、運悪く3人席の真ん中...><しかし、長旅の疲れがドッとでたのか、離陸前から爆睡し、離陸時の衝撃もさることながら、気づいたら雲の上だったというw ひたすら寝てたので、後のことは覚えていません。着陸時も寝てました(爆) | |
無事茨城空港着<ヽ`∀´> 約一週間ぶりに目にする祖国日本!ついに私は生還したのです♪タラップを降り、「茨城空港」の日本語を見たときはもう感動的でした。これからは日本語が通じるのですから!!ついさっきまで中国にいたのに、同じ昼間の時間帯に帰ってこれるとはねぇ。 |
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入国手続きを終え、行きと同じく、関東鉄道バスにて東京駅着! こうして、6泊7日の中国一人旅が無事完了したのでした。今思えば、言葉もうまく通じない環境の中、異国の地でよく頑張ったなと思います。旅の感想については別にまとめておいたので、そちらを参照ください。今までに例を見ない超長編旅行記となってしまいましたが、最後までご覧いただきまことにありがとうございました! |
「初めての海外を一人で、それもツアーではなく完全自力で......」
考え始めた当初はこんなこと本当にできるのかと不安でいっぱいだったが、帰ってきた今、素晴らしい体験だったなと心から思う。
そもそも旅の計画を始めたのが2012年の1月。当初は2月の入試休みでの出発にしようかとか、2泊3日の弾丸ツアーを利用しようかとかなどいろいろ悩んだのだが、試行錯誤した結果、航空券の兼ね合いもあって今回の計画に落ち着いた。計画を始めてからは、マーカーの黄色い線で本が埋め尽くされるまでガイドブックを熟読するなど、綿密な下調べや行程立案を行った。また、中華人民共和国の成立以降、その国で一体どんなことが起こったのか、また政治や文化の思想を知るために、下調べとして別に中国近代史も勉強した。
それだけ事前準備を重ねたためか、今回の旅行で得たものは非常に大きかった。まず何より、中国に対するイメージが変わったのだ。出国前までは「中国は社会主義なため自由がなく、市民は日々閉塞的な生活を送っている」などと思っていたのだが、実際は、花や芝生が整然と計画的に植えられた美しい公園で市民は憩っていたし、その顔は笑顔で満ち溢れていた。それから、「中国に行けば、日本人だと分かるだけで殺されるのではないか?」などとも思っていたが、実際の中国人は、基本的には本当に優しくて、「日本人かぁ。よく来たな!」と言わんばかりに、親切に接してくださった。そこには「反日」のかけらもなかった。彼らと過ごしたひと時は今でも忘れられない。
そしてやはり実感したのが、その発展の速さ。上海はここ十数年で激変したとも言ってよい。もともと単なる湿地帯に過ぎなかった浦東には、上海の経済発展を象徴するかのように超高層ビルが立ち並び、1995年に1号線が開通した上海地下鉄は、今や総延長400キロを超えた。計画では、2020年には総延長980キロにも達する予定である。そして、かつては「遅い、臭い、汚い」だった鉄道には、今や最新鋭の新幹線型車両が走る。度重なる事故のためか、「安全軽視」や「走る凶器」などとも言われているが、実際はきちんと定時でやってきたし、乗り心地も快適。さらに、中国お得意の人海戦術によって、車内にはごみ1つ落ちていない。これは公園等も同じであった。
そして気になる語学力だが、まだ1年間しか学んでいなかったのだが、積極的に彼らとコミニュケーションを行うことができた。時には筆談や英語を混ぜての会話だったが、何とか自分の言いたいことを伝えることができた。確かに言いたいことが伝わらなくて苦しんだ時もあったが、それでも言葉が無事通じ合えた際の喜びは、他の何事にも形容できないものだった。単語1つ知っているだけでも全然違う、今回それを深く実感した。
「高校生のうちから海外行くと人生変わるよ」
杭州からの帰りの新幹線車内で偶然出会った日本人の方が言った言葉である。確かにこれは本当だと思う。日本に帰ってからは新聞などで中国に関する記事を目にすると必ず読むようになった。「海向こうの事情」を知ってこそ理解がより一層深まるのである。また、世界地図などで中国の地図を眺めることも多くなった。地図に上海や杭州などの行ったことのある地名を見つけると、「自分はあんなところまで行ったのかぁ」とも思うし、次に行きたい地名を思い浮かべると、広大且つ雄大な中国大陸に対するあこがれを感じるのである。
6泊7日、長いようで実際短かったし、今までの人生の中で最も楽しかったと言っても過言ではない。ただの観光旅行じゃんと言われてしまえば確かにそれまでかもしれない。だが、拙い中国語を現地で実践し、中国人とたくさん会話したこと、それからどんなトラブルにも適切に対処し自分で考え行動したことなどは、決して忘れることのできない私の財産なのだ。来年の春は北京と天津あたり、セットで訪問しようと考えています。そのためには、この1年間で一生懸命さらに中国語力を磨き、単語力や文法力を身に着けたいです。そして、これからももっと中国へ、さらにいずれは中国の主要都市すべてを全て回ってみたいです!最後に、お世話になった方々、本当にありがとうございました!
末筆ながら、いつにも増して長大な旅行記でしたが、最後までお読みいただき心から感謝いたします。題材が海外ということで、地名等よく分からない言葉がたくさん出ていたかと思いますが、ご容赦ください。一人でも多くの方が上海、そして中国に興味をもっていだだければ幸いです。